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将軍塚


狭山丘陵の東端に位置するこの山は、
かつて駿河(するが)・甲斐(かい)・伊豆(いず)・相模(さがみ)・常陸(ひたち)
・上野(こうずけ)・下野(しもつけ)・信濃(しなの)の八か国の山々が望めたことから
八国山(はちこくやま)と呼び伝えられ、鎌倉時代にはこの付近を鎌倉街道上道が南北に通っていた。
 元弘三年(1333)、鎌倉幕府を倒そうと上州で挙兵した新田義貞は同道を南下し、
小手指ヶ原(こてさしがはら)で幕府軍と対戦してが苦戦を強いられ、
分倍河原(ぶばいがわら)の合戦でようやく勝利するが、
この時義貞がこの地に一時逗留し、塚に旗を立てたことから将軍塚と呼ばれるようになったと伝えられる。
江戸時代に編纂された「新編武蔵国風土紀稿」には
「此ニ一ツノ塚アリ。是ヲ将軍塚ト呼ブ(ここにひとつのつかあり。これをしょうぐんづかとよぶ)」とある。
同書には、この塚は富士塚とも呼び、あるいは古代の塚ではないかとも記されている。



上記はこの看板からの引用。

この緑地、子供の頃に何度も来た事あったが、
将軍塚なんてものがあるのは初めて知った。

齢四十を超えて知る事の方が多いようで、面白い。

0812092.jpg
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コメント

その辺って歴史ある場所だったんだ。
今から700年前の関東平野ってどんなとこだったのかね。どのくらい人が住んでたのかな。見渡す限りの林や野原みたいな場所だったのかね。
大きく変わり始めたのは昭和に入ってからなのかな。まだ100年も経ってないのかもね。

◆サトちゃん


チラッと調べたけど、
かなりの昔から人が居たみたい。
土器時代からだと(笑)。
川が三本あるから住めたんじゃないかな。

逆にっつーか、小平は無人の荒野だった。
田無から箱根ヶ崎まで20キロぐらいあるんだけど、
その間が旅人にとっては生死を掛けて歩く区間だったらしいよ。
なにしろ水(川)が無い地域だったから。

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